否定している人ほど余裕がなく見える
私は否定している人を見るとどうも、余裕がなくなく感じてしまう。
余裕とはなんなのかと言われると、何か全くわからないのだがなんとなく感じてしまう。
何かを否定することで、その人は立っていられるのかもしれない。否定することで落ち着きを得られるのかもしれない。しかし、否定されている人や否定したいわけではないけども否定を強要させている人にとってはこれは大きなダメージを与えていることをわかってほしい。
否定する人ほど否定することを恐れている。だからこそ言いたいことも言えなくなる。
諸悪の根源は、何かを肯定することのかっこよさにみんなが気がついていないことだ。
否定することで、私は周りの人の分析をいつもしている。社会を良くしようと考えている。アピールになると思ってしまっているのではなかろうか?
否定は依存と似ている。
否定することで、物事を思い通りに動いてほしいという事なのだろう。依存もこれだ。自分は何もしないで物事を思い通りに動かしたい。
こんな事は、おそらく誰の助けにもならない。なったとしてもそれは麻薬のようなもので一時的であり結局その人を苦しめる方向に持っていくと思っている。
それよりも、悪い部分もあるけれど良い部分に注目し、良い部分を肯定していくことの方が、その人を救うことができるのだ。良い部分を発見してくれる人は非常にかっこいい。
もっと肯定することのかっこよさをみんなに知ってもらいたい。
人生は楽しんだもの勝ちなのだから。