成長とは何か?
成長!改善!効率!そういうところにいろいろ考えをめぐらしている、ていです。
なんのために成長しなきゃいけないのか。
わたしは、幸せに生きるためだと思っています。
これは多くの人にとってそうなのではないでしょうか。
究極的にはここに行き着くのではないかと思っています。
しかし、成功のための本やら、記事やらを読んでみると
コミュニケーションのハウツーだとか、目標を持つだとか、本を読めだとかが並んでいるイメージがあります。
これらは、自己の能力を高めてくれるでしょう。
とても大切な事です。
私も、いつも読んでいます。もはや趣味に加えてもいいかもしれません。
しかし、こういう文章に触れていると思うことがあります
自分の能力を高めることが、幸せにつながるのか?と
■成長と幸せはイコールか?
自分の能力を高めること=幸せになる
これは、なんとなく想像しやすいのではないでしょうか
学生時代ならば
たくさん勉強した → テストでよい点が取れた → 褒められる → うれしい → 幸せ
などはとてもわかりやすいです。
しかしこれはどうでしょうか
たくさん勉強した → 点数があまりよくない → 褒められない → 無駄なのかも → しょんぼり
このパターンも少なからずあります。
根性論でじゃあもっと頑張ろう!
となるのはいわゆる「べき」論であり
みんなこれができるわけではありません。
またこんなパターンもあるかもしれません
たくさん勉強した → テストでよい点が取れた → 褒められない → 無駄なのかも → しょんぼり
対する相手によっては決して考えられないパターンではありません。
つまり
自分の能力を高めること=幸せになる
はいつの場合も成り立つわけではありません。
3つ目のパターンで気が付いた人もいるかもしれませんが
ポイントは
自分が幸せになるためには、何かしら、誰かを幸せにしているということをはさむ必要があるのではないかと思っています。
これに気が付かせてくれたのはこの記事です。
【不倫肯定論】所有は人間の自由を剥奪する。ー 「その人を使って自分を幸せにしたい」のか「自分を使ってその人を幸せにしたい」のか。 - いばや通信
記事の内容は、万人受けするものではなく、すこし刺激が強すぎる部分もありますが
「その人を使って自分を幸せにしたい」のか「自分を使ってその人を幸せにしたい」のか。
とてもインパクトのある文章でした
幸せになるためには、自分を使ってその人を幸せにしてあげることが必要なのではないかと思うのです。
これはボランティア精神的な、モノのように感じますが
多くの人はこうした面があるのではないかと思っています。
そして、私はひらめいたのです。
この考え方で行くと、
成長とは幸せにしたい人を増やすことではなかろうか、好きな人を増やすことではなかろうか、と
私たちは、好きな人を増やすために成長しなけらばならないのだ。
好きな人に囲まれて生きるために成長しなくてはならないのだ!
その人を幸せにする、ことで自分も幸せになれると知っているから。
成長とは、人に好かれるためではない。人を好きになるためだ。「この人ってすごいんだな」って気づくために、一生懸命成長しなくちゃいけないのだ。好きな人に囲まれて生きるために。好きな人に囲まれていたんだなって、気づくために。
■まとめ
好きな人を増やすために成長しよう。
人生は楽しんだもん勝ちなのだから